じぶんの命よりも、生まれてくる娘の命を望んだ母

「生きたいのに生きる事が出来ない。」
悲痛な叫び声が聞こえますか?

今、自殺者は年間で30000人を越えるといいます。
その一方で、生きたい!と願っているのに、病にその命をうばわれていく人もいることに、かなしい不条理を感じます。

「ゆりちかへ~ママからの伝言~」
これは難病に侵されたテレニン晃子さんが、限られた命の中で、天から授かった幼い娘、ゆりあちゃん(愛称 ゆりちか)に残した愛のメッセージです。

2002年4月、晃子さんは、ロシア人の男性、テレニン・レオニドさんと国際結婚しました。まもなくして妊娠がわかり、二人は喜びと幸せにつつまれていました。

しかし、2005年12月のことです。妊娠5か月目にはいった晃子さんは突然、激しい腰の痛みに襲われました。歩けないほどの激痛。

お腹の中の子に万が一の事があってはと、病院で病理検査を受けました。結果は残酷なものでした。

「脊髄ガン」、からだ全体の神経が集中する脊髄がガンにおかされ、手足のしびれや知覚障害など、全身に障害がでやすく、転移の可能性が非常に高い難病です。とにかく一刻も早い治療が必要とのこと。

でも、晃子さんのお腹の中には赤ちゃんがいます。放射線や抗がん剤を使う治療は、おなかの赤ちゃんに深刻なダメージを及ぼすことは必須。

「あきらめなければいけません」と医師に言われたテレニンご夫婦。
「難しいね、パパ」
せっかく授かったかけがいのない小さな命。自分自身の命か子どもの命か。
究極の選択です。ツライ選択を迫られてしまいました。

「ママはパパに約束したの。パパに健康な赤ちゃんをあげるってね」
お腹の子にやさしく語りかけました。そう、晃子さんは自分の命ではなく、赤ちゃんの命を守ることを選んだのです。

それは、自分の死への秒読みの開始でもありました。

2006年2月6日、無事、ゆりあちゃんが誕生しました。1200グラムの小さな尊い命です。

「この子の為にも元気にならなくちゃ!」
さっそく晃子さんは抗がん治療をはじめました。
病気の悪化で手を自由に動かすことができない晃子さん。愛くるしい娘をその腕に抱くことのできないせつなさ。本当なら、お乳をこの子に飲ませてあげたい! しかし、抗がん剤を服用していては、お乳を飲ませることもできません。

ツライ治療に耐えつづける晃子さんですが、運命は過酷な方向へと進んで行きます。
『MRIをとると「ぜんぜん別の所に新しく大きな腫瘍ができていました」絶望的』

自分の命の炎が燃え尽きてしまう前に、晃子さんは決意します。
『ゆりちかが笑うと本当に可愛くて、こっちも幸せになります。その笑顔をこれからもずっと見ていたいのですが、何があるか分からないので、ママがゆりちかに話したいことを書きます。』

自分の体験をもとに、女の子として、人として、ゆりあちゃんに大切にしてほしい事を書きはじめたのです。

おしゃれ:「ゆりあにはおしゃれを楽しんでほしいな。たくさん、たくさん可愛くなってほしい。女の子だから味わえる素敵な楽しみがたくさんあるよ。ママが手伝ってあげたいなあ。ユリアの髪をまいにち違う格好に結ってあげたり、いろんなお洋服を着せたり、ママも楽しみたいです。アクセサリーも楽しんでほしい。ママのがあるから使っていいからね。パパに言っておくから。女の子はお金がかかるってね。」

お友だち:「ゆりあには、いいお友だちがたくさんできることをママは願っています。大事なことは、お友だちと、自分をすぐ比べないこと。ゆりあという人間は世界にたった一人しかいません。あなただけです。だからあなたは誰にも比べられないのよ。ユリアもきっとなやむときが来るんだろうな。ママが助けてあげたいよ!」

けんか:「ゆりあは女の子だから、なぐり合うようなけんかはあまりしないと思うけど、口げんかはやっぱりよくするかも。最近の若い人には自殺するところまでガマンしてしまう人がいるそうです。ばかみたいだね。たいていのことが死ぬほどのことじゃないのに、逃げちゃえばいいのにね!人間は一人で生まれきて、一人で死んで行くんだから、さみしいけど、さいごは一人なの。だから生きている間は、いっぱい好きな人と一緒にいて楽しい思いをするのよ!!」

伝えたいことはやまほどあります。つぎから次へと浮かぶ伝えたい言葉。しかし、病魔は晃子さんから、伝言を書く力さえも奪い始めました。

ならば、声を残そう! 晃子さんはあらん限りの力を振り絞って、テープにゆりあちゃんへのメッセージを録音していきます。

痛みと苦しみと闘いながら、テープに吹き込む娘への想い。心の叫びが切なく響きます。あふれる涙をおさえきれず、泣きながら一語一語心を込めて語る晃子さん。

『ママの身体は良くなりません。せっかくゆりちかを産んで、赤ちゃんにはお母さんが絶対、絶対絶対必要なんですけど あなたにいっぱいいっぱい教えたい事があるんですけど いっぱい話したいことがあるんですけど ママはあなたと一緒に生きる事が出来ないみたいです。』

『ママは死にたくないです、死にたくないです・・・』

2008年2月25日、テレニン晃子さんは眠るように息を引き取りました。

晃子さんは本の最後でこう語っています。
『ゆりあ、あなたはママが生きる目的です』

母の愛が詰め込まれた「ゆりちかへ~ママからの伝言~」は
ゆりあちゃんの支えとなり、大きな愛で包み込んでいくことでしょう。

参考文献:「ゆりちかへ~ママからの伝言~」(幻冬舎文庫)

また母の子として生まれたい

2006年2月1日に起きた京都介護殺人事件。
認知症の母親の介護を何年間も続け、生活苦に陥り
それでも最後まで母を愛しながら殺めてしまった男性の話。

京都市伏見区桂川河川敷で被告が母親を殺害。
無理心中を図り自身も自殺を図ったが発見され、一命を取り留めた。
しかし、この事件はただの介護疲れによる殺人事件にとどまらない事情があった。

介護疲れ・生活苦・・・そして

当時被告は両親と3人暮らしだったが、1995年に父親が死亡。
その頃より、母親に認知症の症状が出始め一人で介護をしていたという。
ところが、2005年頃より母親の生活サイクルが昼夜逆転し、
徘徊しては警察へ保護されるほど症状が進行した。
被告は、デイケアの利用などを行ったが介護の負担は軽減せず、
仕事をしながらの介護に限界を感じ、9月に退職。

その後も求職をしながらの介護が続いたが、
介護と両立できる仕事も見つからない。
また、生活保護の受給を求めたが、失業保険を理由に認められなかった。
12月には失業保険の給付もストップ。
カードローンの貸し出し額も限度額に達し、
自分の食事を2日に1回にし、母親の食事を優先するなどきりつめたが
デイケア費や家賃も払えなくなった2006年1月31日、
もう「自分たちに残された道はこれしかない」と心中を決意した。

わしの子や。わしがやったる

その日、京都市内を観光した後
家の近くがええなという母の言葉に従い、
2月1日二人は桂川の河川敷へ。

「もう生きられへん。此処で終わりやで。」
という被告に、母は
「そうか、もうアカンか、○○。一緒やで。お前と一緒やで」
と答えた。

「こっちに来い」と呼ばれ近づいたら額がぶつかった。
「○○はわしの子や。わしがやったる」との母の言葉に
「自分がやらねば」と決意したという。

そして母の首を絞めて殺害し、 自分も包丁で首を切って自殺を図った。
その後、通行人によって午前8時頃、二人は発見された。

また母の子として生まれたい

4月19日、京都地裁の初公判。
ここで被告は
「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」と述べた。

また、裁判のなかで被告は、
「私の手は母を殺めるための手だったのか」と言葉を残した。
刑務官も涙をこらえる様にまばたきするなど法廷は静まりかえった。

「尊い命を奪ったと言う結果は取り返しのつかない重大だが
経緯や被害者の心情を思うと、社会で生活し 自力で更生するなかで冥福を祈らせる事が相当
被告人を懲役2年6ヵ月に処する…」

母が子供に戻って行くのです。
私は母を「見守る」ただそれだけのことしか出来なかった。
私の手は何の為の手で、母を殺めるための手であったのか、みじめでかなしすぎる。
じっと我が両の手を見る。何の為の手であるのかと。
(最終陳述にて)

≪参考≫
伏見・介護殺人
http://yabusaka.moo.jp/fushimi.htm