認知症の人が暴れるのは、それなりの意味があるから

「介護」と聞くと、誰もが大変だという言葉を口に出します。
「あんなにしっかりとしていた人が、こんな風になってしまうなんて」
中には、子どもの顔さえ忘れてしまう方もいらっしゃいます。

近所のおばあちゃんは、昔、踊りのお師匠さんで、粋でしっかりした女性でした。しかし、急に認知症になってしまい、家族が目をはなしたすきに、家を脱出して徘徊するようになってしまったのです。

家とは違う方向へどんどん歩いて行くおばあちゃんを見かけたので、声をかけると
「まりこ(娘さんの名前)がいないので、八百屋へ行こうと思ったのに、ぜんぜん着かなくて困っているのだけど」と話してくれました。たしかに、おばあちゃんの家から50メートルの所に八百屋があります。しかし、方向は全く違っていて、かなり離れていました。

「私も行くからいっしょに行きましょう」と声をかけ、一緒に歩きだすと「ご親切に、ありがとうね。あなたはまりこを知っているの?」と質問されギクッとしました。知っているもなにも、昔からご近所で、おばあちゃんにもかわいがってもらっていましたから、私なりに、やはりショックを受けましたね。

他人の私でもショックなのですから、ご家族だったら、その衝撃は耐えられないほどのものでしょう。

八百屋には、まりこさんもいなくて、家まで送り届けたのですが、おばあちゃんは、また玄関でうろうろしだしました。「雪が降ってきた。あの子はどこにいるんだろう?」と心配するおばあちゃん。
「もうすぐまりこさん、帰って来るって言ったから、ここで待ててあげてね。じゃないとすれ違っちゃうかもしれないから」と説得して、私は帰りました。

そんな経験がきっかけで、私は認知症についての講習会に参加しました。
いつかは親も認知症になるかもしれない。そして、将来的には自分だってならないとは限らない。誰もが身近に感じている問題ですよね

アルツハイマーと認知症の違い等の話が進む中で、介護の現場で働いている所長さんのお話がとても印象的でした。

施設で過ごされている患者さんが、突然、外へ出ようとしはじめたお話です。「外出はキケンだからダメですよ」といくら止めても聞いてはくれず、だんだん暴れ始めてしまいました。

そういう時、所長さんはじっと耳を澄ませてその患者さんに寄り添うそうです。なぜ、外に出たいと言い出したのか。どうして暴れているのかを探るために。

すると、「○○がかわいそう。」「きっと待っている」「このままじゃ濡れてしまう」という言葉が聞こえてきたそうです。
そうです。その患者さんは、急に降りだした雨に気付き、我が子が濡れて、どこかで雨宿りをして、自分を待っている!と思い、暴れていたのです。

患者さんの実年齢は80代ですが、きっと30歳くらいの自分に戻っていたのでしょう。子どもはまだ小さく、早く子どもの所へ行ってあげたい!という子どもを思う気持ちでいっぱいになり、外出を制止しようとするスタッフが邪魔でしょうがなく、あせりと怒りで暴れていたのです。

所長さんは、「患者さんが暴れたり、怒ったりするのには理由があるのです。そっと耳を傾けてあげてください。人としての尊厳を大事にしてあげて下さい。」と語っていらっしゃいました。

今、医療や介護の現場で、フランスのジネスト・マレスコッティ研究所が開発した「ユマニチュード」が注目されています。

おむつを替えるのに、30分以上格闘していた認知症高齢者の方に、見つめて・触れて・語りかける、このユマニチュードを用いておむつ交換をおこなったところ、2分半でできてしまったという事例もありました。
「認知症の方が相手でも、『あなたは人間』で『そこに存在している』と伝えるのが、ユマニチュードの哲学だそうです。

こう話すのは簡単なこと。実際に介護の現場で頑張っている方にとっては、スグに切り替えることは困難なことかもしれません。しかし、人の想いは、良いにつけ、悪いにつけ、認知症の方にも以心伝心で届くのですね。

「認知症の方の困った行動には、それなりの理由がある」
理由があるのならば、その理由をひも解くことで、光明が差してくるとを信じたいです。

参考資料:http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3464_all.html

意識不明の新婦を待ちつづけた愛の奇跡!

「いつ目が覚めるかもわからんし
健康な女の子はほかにいっぱいいるからもう待たなくていい
別の女性をさがして」

新婦の母は、これまでの感謝の気持ちもこめて、ずっと待ち続ける新郎の尚志さんに話ました。

しかし、彼の答えは「いや、僕は待ちます。彼女のそばに居させてください」でした。

8年前の2007年は、尚志さんと麻衣さんは結婚式を目前にひかえ幸せいっぱい、準備におわれていました。しかし、ある日突然、麻衣さんは自分が何をしていたか思い出せないと話だし、夜、突然叫びだして精神科に入院。そして心肺停止になり、大学病院に救急搬送されました。危険な状態に陥りましたが、人工呼吸器で心臓を動かし、命だけはとりとめました。原因は不明。意識は戻らず、長いこん睡状態がはじまったのです。

尚志さんは麻衣さんの意識が戻ることを願い、信じて待ち続けます。結婚式もキャンセルしようとはせず、延期にしてもらいました。
彼は会社勤めにもかかわらず平日は出勤前の1時間、休みの日は1日に3度、麻衣さんの元へ訪れ、 彼女の手足をマッサージしてほぐしたり、耳からの刺激が脳によいときけば、麻衣さんが好きな曲を流したりするなど献身的に通いつづけます。

その姿を見て、麻衣さんのご両親はせつなくなり、1年たったころに
「もういいよ。ほかの人を探して幸せになって欲しい」と尚志さんに行ったのです。でも、尚志さんはガンとして聞き入れません。尚志さんのご両親にも、「他の子をさがしてください」と話に行ったそうです。

入院して6年たった時、奇跡が起こりました!
麻衣さんが目を開けたのです。

意識を取り戻した当初は、麻衣さんは無表情で、話しかけても返事もなし。目の前にいる男性が婚約者であることも分からない状態。

しかし、尚志さんはかわらず通いました。すると、麻衣さんの表情がやわらぎ、日に日に回復しはじめたのです。

支えてくれた尚志さんやご家族、たくさんの人のあたたかい想いを知り、自分の脚でバージンロードを歩いて、「みんなにここまで元気になった姿をお披露目したい」と麻衣さんは決意します。

5年以上寝たきりでしたから、全身の筋肉は衰え力が入らない状態からのスタート。約2年間、麻衣さんはみんなの想いに応えるために、血のにじむような努力を重ね、過酷なリハビリを頑張りぬきました。

挙式前 ベールダウンのときにお母さんは麻衣さんに一言
「頑張ったね」
この瞬間、8年間の想いがあふれ出て涙がとめどなくほほをつたいました。

父の手に導かれ、母にも差さえられながらゆっくり一歩一歩新郎のもとへ歩く新婦の姿。

尚志さんの、必ず回復をする、麻衣さんの笑顔を見る!と信じきった深い愛が、8年越しの結婚式という奇跡を呼び起こしたのですね。

また母の子として生まれたい

2006年2月1日に起きた京都介護殺人事件。
認知症の母親の介護を何年間も続け、生活苦に陥り
それでも最後まで母を愛しながら殺めてしまった男性の話。

京都市伏見区桂川河川敷で被告が母親を殺害。
無理心中を図り自身も自殺を図ったが発見され、一命を取り留めた。
しかし、この事件はただの介護疲れによる殺人事件にとどまらない事情があった。

介護疲れ・生活苦・・・そして

当時被告は両親と3人暮らしだったが、1995年に父親が死亡。
その頃より、母親に認知症の症状が出始め一人で介護をしていたという。
ところが、2005年頃より母親の生活サイクルが昼夜逆転し、
徘徊しては警察へ保護されるほど症状が進行した。
被告は、デイケアの利用などを行ったが介護の負担は軽減せず、
仕事をしながらの介護に限界を感じ、9月に退職。

その後も求職をしながらの介護が続いたが、
介護と両立できる仕事も見つからない。
また、生活保護の受給を求めたが、失業保険を理由に認められなかった。
12月には失業保険の給付もストップ。
カードローンの貸し出し額も限度額に達し、
自分の食事を2日に1回にし、母親の食事を優先するなどきりつめたが
デイケア費や家賃も払えなくなった2006年1月31日、
もう「自分たちに残された道はこれしかない」と心中を決意した。

わしの子や。わしがやったる

その日、京都市内を観光した後
家の近くがええなという母の言葉に従い、
2月1日二人は桂川の河川敷へ。

「もう生きられへん。此処で終わりやで。」
という被告に、母は
「そうか、もうアカンか、○○。一緒やで。お前と一緒やで」
と答えた。

「こっちに来い」と呼ばれ近づいたら額がぶつかった。
「○○はわしの子や。わしがやったる」との母の言葉に
「自分がやらねば」と決意したという。

そして母の首を絞めて殺害し、 自分も包丁で首を切って自殺を図った。
その後、通行人によって午前8時頃、二人は発見された。

また母の子として生まれたい

4月19日、京都地裁の初公判。
ここで被告は
「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」と述べた。

また、裁判のなかで被告は、
「私の手は母を殺めるための手だったのか」と言葉を残した。
刑務官も涙をこらえる様にまばたきするなど法廷は静まりかえった。

「尊い命を奪ったと言う結果は取り返しのつかない重大だが
経緯や被害者の心情を思うと、社会で生活し 自力で更生するなかで冥福を祈らせる事が相当
被告人を懲役2年6ヵ月に処する…」

母が子供に戻って行くのです。
私は母を「見守る」ただそれだけのことしか出来なかった。
私の手は何の為の手で、母を殺めるための手であったのか、みじめでかなしすぎる。
じっと我が両の手を見る。何の為の手であるのかと。
(最終陳述にて)

≪参考≫
伏見・介護殺人
http://yabusaka.moo.jp/fushimi.htm