毎日届く、クスッと笑える希望のハガキ

キャハハハハーッ!
あまりにも愉快なはしゃぎ声に、ふとふりむくと、なんとも奇妙な格好で自転車にまたがる人がスーッっと通り過ぎた。

ビニールの買い物袋の、手に持つ部分をそれぞれ両耳にひっかけ、風を切って走りぬけてゆく。ビニールの買い物袋は風にはらんで、まるでアドバルーンのように頭の後ろで膨らんでいる。キャハハハハーッ!その笑い声につられてコチラも笑ってしまう。

他にも、ゴミ袋を着た子供を自転車の後ろに乗せている人。大きいビニール製のゴミ袋の3か所に切り込みが入っていて、頭と両腕が出るように子供にスッポリ着せて簡易レインコートにしていた。

そんな日常で見たクスッと笑える出来事をハガキに書いて、毎日雨の日も風の日も一日もかかさず認知症とウツ病を患う遠方の母に送っていた脇谷みどりさん。

送ったハガキは14年間で5000通を超えてました。

平成8年、大分に住んでいた父親から電話が入りました。
「家に帰ってきてほしい!」
突然の申し出に脇谷さんはビックリ。実は、この時、お母さんは重いウツ病を発症していたのです。突然髪の毛を切りだし、火をつけたり、「死にたい」と繰り返す母。パニック生涯、過呼吸、意識混濁・・・。お父さんも疲れ果てて困惑していたのです。

スグにでも助けに行っててあげたい!
しかし、脇谷さんには、重度の障害を持つ、寝たきりの娘がいます。

生まれつきの脳性小児マヒ。どうして自分の子がこんなことに・・・。お医者さんからは「5歳になって自分で座ることが出来たら奇跡だ」といわれました。

しかし、5歳になっても座るどころか首もすわらない。
近所に住む、同じ障害の子供を持つ先輩ママに言われたことは、「あんたやで、あんたが変わらなダメなんや」 
自分の何がいけないの? どうしたらかのこは治るの?

ある時、娘のかのこさんを車に乗せて走っていた脇谷さんは、田んぼに囲まれた道を走る赤い車を見てかのこさんに語りかけました。
「きっと、あの車には幸せな家族がのっているんだろうね。私もかのこを産むまでは幸せだったのに」
自分で吐いた言葉にハッとし、電撃が走ります。
「わかった!かのこ。私だ、私やったんや。お母ちゃん、これから変わるから!」

その時脇谷さんがわかったこと、それは、「かのこさんの病気が治らなくては幸せになれない」と思いこんでいたことでした。

もし、この子が治らなくても、世界一幸せな娘にしたい。そして家族ひとりひとりが輝いていける、世界一幸せな家族になろう!

それまでは、かのこさんが入院すると、子供は病室に入れない病院の規則があったので、小さいころも兄はひとりぼっちでお留守番。なかなか手をかけてあげられない状態でした。でも、お兄さんはみずから3歳で泣くことを辞めたと言います。泣いてもおかんは戻ってこない。大変なんや。自分がしっかりしなくては!そう思っていたそうです。

脇谷さんは、家族に支えられていた事に気付きます。感謝の想いが沸き上がってきました。脇谷さんは、もともと目指していた童話作家の道へ進もうと決意します。24時間介護でしたから、かのこさんの隣にあるアイロン台を机代わりに、執筆活動を始めました。

そんな時に、突然の父親からの電話。帰ってきてほしいと言われても、かのこさんを連れて大分にはとうていいけません。

何か自分にできる事はないだろうか? そこで、脇谷さんは、クスッと笑える出来事をハガキに書いて、毎日大分のお母さんへ送ることにしました。娘から届くハガキを目にし、徐々に大分のお母さんに変化が起こります。ハガキを出しつづけて4年目、大分のお母さんから電話がきました。

「お医者さんが、病院にもう来なくてもいいですよって言ったの」
そうです、いつの間にか、うつ病も認知症も改善されていたのです。

77歳になるお母さんはほほ笑みながら話します。
「おもしろい絵手紙を毎日読むうちに、マイナスの事を考えなくなれたの」

脇谷さんは「とべパクチビクロ」という絵本を出しました。これに負けじと、お母さんまで本を出すまでに!

かのこさんのお兄さんは、今は障害者児童の教育に携わっています。「かのこさんがいてくれたから、自分の道を開くことができました。前世でも、今世でも、そして来世もきっと一緒に切磋琢磨していく縁深き戦友なのだと思います。」とかのこさんへのあたたかい想いを語っています。

一人一人が輝き、前に向かって進めるのは、かのこさんがいたからであり、お互いを思いやる気持ちが力になったからなのですね、きっと。

参考資料:http://www.chugainippoh.co.jp/interviews/konomichi/20120605.html
書籍「希望のスイッチは、くすっ うつ病の母に笑顔がもどった奇跡のはがき」脇谷みどり著