感謝してもしきれない気持ちを書にこめて…

日本で有名な昔話である「鶴の恩返し」。子供のころに見たり・聞いたりした方も多いのではないでしょうか。
また、これをベースに舞台や映画・落語などにイメージをふくらませながら、現代においても親しまれ続けている昔話はそうそう多くはないと思います。

しかし、この「恩返し」は日本だけの話しではなく、お隣の中国でも実際にありました。国土も人口も日本とはくらべものにならないくらいの大きさの中国で、ある1人の男性の「恩返し」の話しが取り上げられました。またたく間に中国全土に広がり、感動と称賛を得た話です。

今から20年以上前に話はさかのぼります。中国は現在のように経済大国ではなく、経済を発展させるために努力をしている時期でした。当然、大都市以外の町や村は非常に貧しく食べていくのがやっとの人が大勢いました。
自分の村では食べていくことができずに、1人の青年がもう少し大きい町へ出稼ぎにでました。それでも200キロも離れた、決して栄えている都市ではない町です。出稼ぎにきたものの、なかなか職は見つけられず、そんな中わずかな所持金を盗まれてしまったのです。もう3日も飲まず食わずで、路上で力尽きようとしていた時、ある女性が青年に声をかけてくれました。女性は青年を家に連れ帰り、食事を与え、ゆっくり休めるように寝床を与え、青年の現状を見て夜遅くまで仕事を探してくれていました。貧しい自分の村、常に借金があり苦しい家、出稼ぎにきた自分に冷たい町、貧乏人から盗みを働く人…人を信じられなくなっていた青年には、信じられないようなことばかりがこの女性の家で起きました。体力を回復した青年は自分で再度働き口を見つけようとしましたが、やはりこの町も貧しかったのです。新たにさらに2000キロ離れた大都市に向かうことを決めました。出発の日、女性は青年に交通費とお弁当を渡してこう言いました…

「大切なのは誠実でいること、心のキレイな人でいなさい。きっと幸せになれるから。」

青年は女性のおかげで無事に大都市へ到着し、必死に職を探し、懸命に働きました。この頃は経済発展優先で労働環境は良くなかったといいます。賃金のカットはもちろん、踏み倒しなどもあったようです。それでもいつも女性の言葉を胸に、耐えて必死に働き続けました。その頃から時折女性に近況を伝える・尋ねる手紙を出し始めましたが、宛先が不明ですべて戻ってきてしまいました。

青年は女性に感謝することを忘れませんでした。時間を見つけながら女性を地道に捜索し続けていたのです。そして20年経ってようやく女性の居場所を探すことができました。結婚後、別の町で暮らしている女性の元に感謝を伝えに会いに行くことにしました。女性がいなければ自分は生きておらず、つらいことばかりだった人生に、人を信じることができる幸せを与えてくれたこと…感謝の気持ちがあふれていました。女性は20年前と変わらす貧しくも慎ましく、キレイに暮らしていました。青年は感謝の気持ちと共に、20年前に渡してくれたお金を返し、さらに100万元(日本円にすると約1500万円)の小切手も女性に渡しました。実は、青年は20年間懸命に働き、現在は3つの会社を経営する社長になっていたのです。女性が受け取らないので、青年は自分の感謝の気持ちだからと必死に説得しましたが…

「私はお金をもらうためにあなたを助けたんじゃないわ。人が人を助けることにお金はかからないわ。」

お金に換えられない恩を受けてお金で返そうとした自分…女性の誠実さに比べて恥ずかしい気持ちになった青年は、それでもこの20年間、女性の言葉を胸に頑張れたことの感謝を表したいと思い、それを伝える術を必死に考えました。

そして青年は「山如重恩(恩の重さは山の如し)」と書かれた書を女性に贈りました。どんなに感謝しても感謝しきれない20年分の気持ちを込めた書を女性は気持ちよく受け取ってくれました。青年は「素晴らしい出会いが自分の人生の支えになってくれています。」と語っていますが、女性は…

「自分のおかげで今の彼があるのではありません。ただ、わずかな手助けが人を変えることはあるかもしれません。」

その後も2人の交流は続き、現在では旅行へ一緒に行くなど家族ぐるみで付き合っているそうです。

参考資料:www.fujitv.co.jp/unb/contents/141204_2.html