徳川家康の一番の宝は?

その忠誠ぶりはまるで犬のようだ!といわれた家臣たちがいます。
それは、徳川家康が慈しみ育て上げた三河武士団です。

豊臣秀吉が関白だった頃、諸大名を集めてみずからが持っている豪華絢爛な名宝の数々を自慢しました。そして、その時に家康に対して、どのような宝を持っているかと尋ねました。

家康は答えました。
「私は田舎の生まれですので、珍品といわれるようなものは持っておりません。しかし、私のために命を賭けてくれる武士が500騎ほど配下におります。私にとって1番の宝は彼らだと言えるでしょう」

そう、家康の1番の自慢の宝とは、家康のためなら命も惜しまない三河武士団だったのです。勇猛果敢で義理がたい、豊臣秀吉にも、ぜひ欲しいものだと言わせしめたすばらしい臣下たち。

しかし、それはもともとのお家柄や土地柄かと思いきや、家康の父や祖父の時代には臣下に裏切られたことも多々あったとか。やはり、それほどまでに忠臣となったのは家康という人物がいたからだったようです。

一向一揆で家康を裏切り寺側についいた夏目次郎左衛門吉信でしたが、四方を家康軍にとり囲まれた時に、家康に命を救われました。その後、三方ヶ原の戦いで武田信玄に大敗し、家康が命を落としそうになった際、身代わりになって討ち死んだのは、かつて命を救ってもらった夏目次郎左衛門吉信でした。

武田信玄は家臣から告げられます。
「今の日本に徳川家康と上杉謙信に勝る大将はあるまいと存じます。そのわけは今度の戦で討ち死にした三河軍をみると下郎人夫まで加わっておりました。しかも武田勢に向かって倒れた者はうつ伏せし、徳川勢の方へ倒れた者は仰向けになって、最後の瞬間まで忠義を尽くそうとしたわけです。」
誰ひとり、敵に背を向け逃げ出すものはいなかったことを意味します。

幼少のころに人質となり、幾多の苦難や敗北を経験しながらも乗り越えてきた家康。
井伊直政が大久保忠世の陣中に呼ばれ、三河の武士らが食している芋汁をふるまわれた時のことです。
汁にはぬか味噌のほか味がなく、芋の他、はっぱ、茎などが一緒に煮込んであり、あまりのまずさに井伊直政が苦言を吐くと
「この味は確かにまずい。しかし、我らの配下にはこんなものすら食えない者もいる。なのに、命を賭けて闘ってくれる。そして農民は、芋を作れども主君に差しだし、自分たちの口には入ることもないのだ。
家康様の元で立身するからには労苦を噛みしめ周りを思う心意気を持て。」
と大久保忠世はおだやかに井伊直政を諭したという話があります。

けして驕ることなく、労苦を共にし、臣下を思いやる人柄が、三河武士の結束を固めたのでしょう。

家康は命の火が消えゆく時に、忠義心の強い三河武士たちが殉死しないように辞世の句を残しました。
「先にゆき 跡に残るも 同じ事 つれて行ぬを 別とぞ思ふ」
いつでも、どこでも、臣下を思いやる優しい気持が伝わってきませんか?

参考http://www.icgc.or.jp/guarantee/index.phpmode=kiji&key=126